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日本人对其自身民族父系构成的认识

日本民族 Y-DNA調査まとめ 日本人は三重遺伝子構造の民族!

  日本列島のY-DNA出現頻度とmtDNAの出現頻度は既に報告していますが、ここでは同じGlobal論文からのデータを使っていますが、県別や地方別のデータから積み上げ、県別の人口比や地方別の人口比で按分加算したデータとなっており、単純加算した4-5.より統計上はより良い試算データとなっています。XueとTajimaの論文は子亜型の分析がまだなのですが亜型単位では充分なのでデータに加えました。先駆的な論文として必ず引用されるHammerも共著のKarafet et al.1999のデータは残念ながら「O」が「O2」と「O3」に分離されておらず、日本人のデータとしては極めて不十分なので試算データには含めませんでした。

  いずれにせよ、日本人が縄文文化系、呉系弥生文化系及び侵略者漢族系の3大遺伝子起源から成り立つことは完全に証明されたと言って良いようです。

  縄文系はさらに「D2」、「C1」及び「C3」の3タイプから構成されることも間違いないようです。当ガラパゴス史観ではこの3タイプは日本列島で1万年間交配しあい、それぞれ子亜型に分化したため、日本列島独自のY-DNAハプロタイプが分化し、韓半島と遺伝子が大きく異なることが証明されました。

     Y-DNa「C1」は現在ニューギニアやオーストラリアでオーストラロイドと称される集団の中の海洋性ハンターで、各地に残る鯨漁などの基地は「C1a」の居住地の名残でしょう。Y-DNA「C3a」も内陸型大型獣ハンターで現在のアメリカインディアン「C3b」(ネイティヴアメリカン)が最も近い遺伝子で九州を中心に日本列島に拡大しています。山岳系集団の起源のはずです。このY-DNA「C」はネアンデルタール度が「D2」より高く、日本列島の彫深・鼻高・面長顔のイケメンの起源遺伝子のはずです。(「D2」はジャガイモ顔です)

  遅れて日本列島にボートピープルとして耕作適地を求めて長江→満州→韓半島から南下した呉系長江人の弥生系のコア遺伝子Y-DNA「O2b」は日本列島に上陸後「D2」と密に交配し、稲作が意外に早く東北まで展開された要因となり満州と韓半島には存在しない「O2b1」に分化し、「D2」もさらに新しい子亜型に分化しています。

  このように日本列島独自のY-DNA遺伝子タイプが日本列島の大半を占めることが、似ているようで実はかなり異なる日本人と韓国人の違いとなっています。しかし「O2b1」に分化していない呉系長江人「O2b」も日本列島には或る程度存在することが韓半島との過去の同一呉系水田稲作農耕文化圏に基づく「近さ」の要因になっています。

  そして日本列島で3番目を占めるのが大和朝廷族や武士団族などの韓半島の中華王朝出先機関から生き残りに負けて日本列島に流れてきたY-DNA「O3」漢族の侵略者遺伝子群です。

  Y-DNA「O3」は黄河文化直系のプロト漢族、「O3a1」は華北の周辺民族との交配で生まれた黄河系(華北系)漢族、「O3a2」は黄河系漢族と長江文化華南系との交配漢族になります。漢族は単独遺伝子ではなく、約50%強の「O3XX」亜型群をコアに現在少数民族となっている「O1」「O2」「F」「P」「NO」N」「C3c」など50以上の民族との交配の結果生まれた複雑な遺伝子構成の集団ですが、支配階級は「O3XX」なので「O3」で代表されます(面白いことに他の遺伝子との交配を嫌った純粋「O3」の少数民族もいるのです)。

  いずれにせよ日本列島で検出できる「O3」の子亜型は全て中華大陸で検出できます。つまり韓半島の「O3」とも全く同じです。つまり「O3」漢族は支配階級として日本列島先住民だった縄文-弥生集団との交配を行ってこなかったことを意味します。あくまで自分たちはエスタブリッシュメントとして先住縄文-弥生集団を見下していたわけです。

  この「O3」は韓半島の支配階級でもあったため、早い話しが韓半島も日本列島も漢族の支配した土地であったことがよくわかります。支配したがり屋、出世したがり屋が「O3」の本性です。政治家や上級官僚などの大半は「O3」のはずです。だから彼らは縄文-弥生の子孫がほとんどを占める田舎の3.11の犠牲者などそっちのけで政争・抗争に明け暮れていられるのです。「O3」は基本的に3.11等興味がなく、気にしているのは増税と原発の再稼働だけなのです。下々の暮らしなどどうでも良いのです。

  日本列島は残念ながら今でも「O3」封建体制のままなのです。自分たちのために政治・統治を行いますが、縄文-弥生が占める下々のことなど知ったことではないのです。それでも縄文-弥生遺伝子集団は基本的におとなしく、黙々と働き、年長者を敬い、和をもって貴しとなす集団のため、俺が俺がの「O3」には支配されるしかないのです。

  もしかするとY-DNA「C1a」だった可能性もある蘇我氏も絶えて久しく、「C1a」国家だったかもしれない邪馬台国も絶えて久しく(以前の記事で触れましたが卑弥呼は「C1a」国家のシャーマンだった可能性があります。ということは邪馬台国は海洋性集団で海辺に存在したのではないかと言うのが遺伝子調査から推測できる予測です)、日本列島は「O3」が支配する土地と変貌しています。

  ここまでくれば、われわれ縄文-弥生交配集団は大人しく「O3」政治家や官僚に巻かれて、FEO3P(極東「O3」経済共栄圏)を同じ「O3」が支配層の、中国、韓国、台湾、ヴェトナム、フィリピン、インドネシアと我が日本で構築し、アメリカ「R1b」が主導するTTPを潰すべきなのです。

  結局今の世界は欧米白色Y-DNA「R1b」と極東黄色Y-DNA「O3」の覇権争いの真っただ中なのです。だけど縄文-弥生交配集団の子孫としては、頭ではその方が日本列島に取っては良いことだとわかっていても、やっぱり「O3」に協力するのは抵抗があるなぁ!

  ●地方別データまとめ

  県別のデータではサンプル数が少なすぎ県民論は追えませんでしたが、地方別になると、地方単位で調査したGlobal論文もあり、それなりに追える場面も出てきました。それでも関西圏などまだサンプル数が少なく、調査結果に偏りがあり過ぎ論じるのは難しいようです。

  Webで関西のGlobalデータを見つけました。このCavalhoデータは亜型の設定がやや大雑把のため他のGlobalデータと比較をしにくいのですが、逆に縄文系、弥生系、侵略者系の大くくりには使えるため加えました。特徴はY-DNA「C」が高めなのです。関西(近畿)圏は和歌山の太地の鯨漁などで予想される海洋性ハンターY-DNA「C1」の居住地、まだ修験道などで予想される内陸型ハンターY-DNA「C3a」の居住地でもあるはずです。Y-DNA「C」が多めなのは充分納得できます。またNonakaデータではなかった「O3」もあり、むしろCavalhoデータの方が納得できるくらいです。

  県民性ではまだ論じることはできませんでしたが、地方性では傾向が見えてきました。

●北海道は、明治維新後の屯田兵など開拓民に縄文系が多かったことが言えます。貧民が多かった縄文系は海外移民と同じ発想で新天地として北海道に開拓民として入ったことが予想されます。当然支配階級の「O3」は厳しい自然の土地には政府の役人以外は行かなかったのではないかと予想できます。

●東北も、縄文-弥生の土地ですが、寒冷地適応系と考えられるY-DNA「NO」、「N1」「N1c1」の比率が最も高く、寒さに強かったため適応できたのでしょう。東北アジアに住んでいた時から高緯度地適応で色白だったはずなので、東北に多い色白美人の要因かもしれません。これまで蝦夷はY-DNA「C1a」ではないかと推測していたのですが、「NO」N1」「N1c1」の東北アジア起源集団も蝦夷の一員であった可能性が見えてきました。この東北アジア集団は韓半島を追い出された「O3」と一緒に対馬海峡を渡ったはずですが、故地に似た気候を求めて日本列島を北上した可能性があります。「O3」は全地方で最低でした。奈良時代、平安時代と支配階級の「O3」は蝦夷との抗争がありましたが、積極的に住むことはしなかったようです。

●関東は意外に縄文系Y-DNA「D2」頻度が高い土地でした。新開拓地の北海道を除くと、沖縄以上の「D2」地方になります。しかも人口比率では日本列島最大なので、縄文系の頻度を押し上げることになります。海や山が充分ではないため縄文ハンター系「C」の頻度は少なく全地方で最低でしたが、人口比率が大きいため実人口数は他の地方より多いはずです。

●中部は、広いため地方としてはまとめにくいのですが、特に大きく取り上げる特徴はないようですが、あえて言えば「O3」の中で最も古い「O3」の頻度が高いことです。「O3」の中でもオリジナルの黄河系が韓半島に多く居住し「O3」の中でも新しい子亜型の進出で韓半島を追い出されたようです。ちなみに「O3」「O3a1」は黄河(華北)直系漢族、「O3a2」は黄河系と長江(華南)系の交配系漢族です。

●関西(近畿)は、まだ特殊なデータしかなくもっと調査が必要ですが、先に書いたように意外に縄文ハンター「C」が多い土地です。しかし大阪、京都、奈良の大和朝廷族が侵略占拠した県のデータがそろうと圧倒的な「O3」地方になる可能性が極めて大です。また当ブログで以前卑弥呼は海洋性ハンターの呪術師で支配者ではなかったかと書きましたが、日本列島の全地方で最も「C」頻度の高い関西か四国が卑弥呼の居住地としては候補地でしょう。もしかすると入鹿、馬子、蝦夷などの名前を持つ蘇我氏はこの「C」遺伝子集団だった可能性は充分にあります。もしそうなら「C1a」だと思いますが...。

●中国は、大国主神話もあり予想された葦原の国通り、弥生系が圧倒的に多い土地です。当然ながら「O3」侵略軍の頭領神武や別の「O3」侵略軍も「O2b」の抵抗にあい相当苦労して山陽道を進軍したはずです。そして「O2b」集団を征服するたびに「O3」支配者を常駐・在地化させコントロールしてきたため、「O3」頻度も全地方最大なのでしょう。その代わり縄文頻度は全地方最低です。最も日本らしくない地方です。

●四国は、やや特異な遺伝子構成でY-DNA「D2」頻度は中国地方に次いで低いのですが「C1」はかなり高く海洋性ハンター漁民が多く住みついた土地であることを示しています。一方「O3」も多いと言うことは、大和朝廷族集団もしくは前後して日本列島にやってきた別の「O3」侵略者集団も瀬戸内海の南北を要所として抑えながら東遷したことを伺わせます。恐らく瀬戸内海側3県と太平洋側の高知県は、もっと詳細データが集まるとはっきりと区別できるのではないかと予想できます。瀬戸内海側は「O3」頻度が高いはずです。

●九州は、

  縄文系Y-DNA「D2」「C1」は南から北上して青森までの行程の通過点だったことと、
  同じ縄文系「C3a」はシベリア→韓半島→九州と大型獣を追って南下してきた到達点
    (列島で最大の「C3a」頻度)です。
  弥生系にとっては満州→韓半島→九州と耕作適地を求めて南下してきた到達点だった
    がここから日本列島全土に拡大した。
  侵略漢族「O3」にとっては、韓半島を追い出された逃げ込み先で、旧唐書に言う「日本」
    なる上陸拠点を確立した足がかりの土地のはずです。
●沖縄は、北琉球は国内データでは本土とほぼ同じ遺伝子構成であくまで日本列島の一部ですが、  南琉球はどうも違うようです。「O2b1」の土地のようですが詳細なGlobal論文を期待します。琉球全土(特に北琉球)は南から北上してきた縄文系が住みついたためか、関東と並ぶ縄文頻度です。特にオーストラロイドと判明した港川人は当然Y-DNA「C1a」だったはずです。予想通り「C1a」頻度が高い土地です。南琉球はもし国内データ通りの「O2b1」地域なら「D2」との交配で「O2b」→「O2b1」に分化した弥生系が九州から後代に南下し「D2」を駆逐して住み着いたことになります。もし「O2b」なら韓半島から一気に南下し定住したことになります。いずれにせよ「D2」との交配より駆逐を選択したのかもしれません。

   ●アイヌ民族は、当ブログで繰り返し触れているように、縄文遺伝子Y-DNA「D2」が85%を占めるのですが、本土が「O3」侵略漢族に征服されたのに対し、アイヌは「C3c」古代ニヴフ族に征服され、お互い被征服民族でしたが、本土では圧倒的な人口だったため先住民化せず、残念ながら北海道では支配者ともども現代アイヌ民族として先住民化してしまいました。これが歴史のあやなのです。同じY-DNA「D2」にも関わらず随分境遇が変わってしまいました。

  ●県別データまとめ

  当ガラパゴス史観はこれまで日本列島全土の遺伝子比率を使用し、琉球とアイヌのみを外出しにして論じてきました。しかし、もし県別のデータがあれば違うアプローチの方法もあるのではないかと考え、これまで参考にしてきたGlobal論文を調べ、その元になった県別のデータが一部入手できましたのでリストにして見ました。

  先にご紹介したGlobal論文の中で県別の調査データが報告されていましたので、御紹介します。このリストを見るとこの程度のサンプル数で民族論が論じられるのかかなり疑問になってきましたが、自分では調査できないので、背伸びせずにガラパゴス的民族性を論じたいと思います。とりあえず縄文系、弥生系、侵略者系と分けて頻度を出してみました。ご参考に!

  最も利用されるNonaka et al.、Tajima et al.とHammer et al.の論文の他にNonakaが参考にしたUchihi et al.とSasaki & Dehiyaの論文が県民と地方のY-DNAに触れていましたので、それらの情報をまとめてリスト化しました。

  日本人の合計データで見ると気がつかなかったのですが、県別(一部都市)で見ると1県あたりのサンプル数は極めて少ないのです。これで何か物を言えるのだろうか?と極めて心配になります。

  このリストで最も疑問なのは大阪で2サンプルしかないにもかかわらず、しかもY-DNA「NO」がそのうちの1件を占めたため、大阪は人口比率の大きいことから頻度にかなり影響をしています。研究者は何故疑問をもたなかったのでしょうか?無作為抽出2人のうち1人が日本人の極少数派に当たるのは宝くじに当たるようなものです。しかも関西圏は全てY-DNA「O3」が検出されていないのです。侵略者大和朝廷族のお膝元にもかかわらずです。

  この論文の著者たちはこの宝くじ的な確立で出現したハプロタイプに何故再調査を行わなかったのでしょうか?目的が日本人全体なので全国で見れば誤差範囲と考えたのでしょうか?

  大阪は天皇陵古墳が存在する土地で大和朝廷族の本拠地でもあったにもかかわらず、です。おまけに平城京の奈良県はサンプル数「0」です。著者はこの特異な場所であるはずの関西圏で一体どんな人を対象にサンプルを抽出したのでしょうか?もし農村部や山間部を中心にサンプルを故意に抽出すれば当然大和朝廷族のY-DNAは出てきません。大阪でうっかり抽出すると近代の韓半島系の出身者を調査する可能性は極めて大です。にもかかわずY-DNA「O3」の頻度が「0」という結果はわざとデータを操作した可能性が大きいのです。関西は圧倒的な「O3」圏のはずだからです。

  地域で最も平均的な頻度分布を持っているのは全国から人が集まっている東京と北海道だと思っていましたが、東京はほぼ予想通りでした。しかし旭川は圧倒的な高縄文度の土地でした。恐らく海外移民組も同じではないかと想像できますが、江戸時代まで抑圧されてきた貧民だった縄文の子孫が多く屯田兵や移民として移住したからではないかと考えると納得できそうです。海外の日系移民のY-DNA頻度を調査できると面白い結果が得られるかもしれませんね。

  この結果は、県単位でサンプルを集めることの大変さと抽出のマジックを教えてくれます。目的が日本列島全体の遺伝子分布と縄文-弥生の二重構造をあぶりだすことだったので、限界があるのは仕方がありません。やはり研究者単位ではなく国が主導して調査をしないと高度な解釈は難しいようですね。

  しかしそれでもこの県別調査で、大和朝廷族や武士団族に代表される侵略漢族のY-DNA「O3」が日本列島にしっかりと根付いていることと、Y-DNA「C3c」に代表される東北アジア系騎馬民族、いわゆるツングース系騎馬民族王朝、は日本列島に全く乗り込んできていないことは改めて明らかになりました。恐らく韓半島にいた中国王朝出先機関の漢族役人たちも韓半島や周囲の先住民族たちと抗争するために騎馬民族的な風習を一部取り入れていた可能性は否定できませんが、あくまで漢族「O3」です。

  縄文遺伝子Y-DNA「D2」と「C1」「C3」は日本列島で10000年もの長期間に渡り交配しお互いに子亜型に分化しています。また4000年前頃から徐々にボートピープルとして満州→韓半島→日本列島に水田稲作の耕作適地を求めて逃げてきた弥生遺伝子の呉系長江系Y-DNA「O2b」も縄文遺伝子「D2」との数1000年の長期間にわたる交配で「D2」は更に新しい子亜型に分化し、韓半島と共通の「O2b」も日本独自の「O2b1」に分化しています。この結果は狭い日本列島で縄文-弥生集団が互いに武装集団・戦闘集団ではないため、意外に敵対せず共存-交配をしてきたことを如実に説明しています。

  ところが、侵略者であった武装集団・戦闘集団の漢族Y-DNA「O3」は、日本列島上陸後1500年は経っているにもかかわらず、日本列島独自の子亜型が全く存在せず、中国大陸にあるそのままの子亜型のみしか検出されません。つまり支配階級はエリート層として縄文-弥生集団を見下し差別し交配を進めてこなかったことを如実に物語っています。「O3」層が縄文弥生集団と交配をするようになったのは階級分化が崩れてきた戦後のことです。戦前はまだ身分の違いとかでめったに交配は起きてはいないのです。今は世界の最先端を担う我が日本ですが、戦前までは「O3」の封建制がまだまだ根強く残っていたのです。

  まだ良く理解できていないのはY-DNA「D1」です。集中的に見つかるのは旭川です。何故でしょうか?まさかチベットからの移民がいたとは考えられませんので、「D2」が全く存在せず「D1」が数%存在する韓半島からの近代の移住者しか可能性はありません。韓半島の「D1」はチベットと同じ「羌」族出自の姜集団になるはずです。或る時期に彼らが近代日本列島に移住し最終地に旭川を選んだのでしょう。もしこの論文の報告に間違いがなければ...ですが。2000年の論文なのでまだY-DNA同定技術が”稚拙”だった可能性は充分にありますが..。

  残りのY-DNA遺伝子ハプロタイプは、韓半島時代の中国出先機関(帯方郡、楽浪郡などで代表される)の「O3」支配下にあった東北アジア系の民族でしょう。特に「NO」「N」「Q」や「C3c」などは寒冷地適応し典型的なフラットフェースの一重瞼だったはずです。
不认识!麻烦把夹在汉字里面的那些符号给翻译一下?
基本意思是说日本的父系基因主要是由绳纹文化系、吴系的弥生文化系、入侵的汉族文化系三类人群构成。然后再逐一剖析。

基本上可以通读大意。
有意思的文章,感觉其隐藏了日本人的一种情结,即D2、C1仿佛是他们的大和魂,也是他们最认同的一批人,其次是“渡来”的O2b民系,而O3则是作为“侵略者"来的。以前看过社科院一篇剖析日本人文化和性格文章,提到O2b的渡来人虽然大大提高了日本列岛的生产力,而古老的绳纹文化却深刻影响了现代日本人的三观,比如日本人的神道教就受到其深深影响。如果我没理解错,该文提到部分日本人深目高鼻的特征主要受到D2民系的影响。我于是想到了藏族的形成,其主要有D1和O3组成,某种程度上说有些类似于大和族,而体质人类学有将藏族分为A、B两型的说法,我想知道这是否对应了D1和O3两大民系。当然,这只是我的瞎想,毕竟Y染色体并不决定人的体貌特征。
从以前的”归化人“转变为现在的”漢族侵略者“的叫法,也是一种心理的转变。
”归化“是二战前的用词,由于体现皇朝史观,战败后会有意回避。。。
在日本算是某种政治正确。
这文章应该有些年头了吧?
Until you make the unconscious conscious, it will direct your life and you will call it fate.
可以结合mtDNA来看一下,

In sample of Japanese from the Tokyo metropolitan area, the mtDNA haplogroups found among modern Japanese include
D (42/118 = 35.6%, including 39/118 = 33.1% D4 and 3/118 = 2.5% D5),
B (16/118 = 13.6%, including 11/118 = 9.3% B4 and 5/118 = 4.2% B5),
M7 (12/118 = 10.2%),
G (12/118 = 10.2%),
N9 (10/118 = 8.5%),
F (9/118 = 7.6%),
A (8/118 = 6.8%),
Z (4/118 = 3.4%),
M9 (3/118 = 2.5%), and
M8 (2/118 = 1.7%)

--Zheng H-X, Yan S; Qin Z-D, Wang Y; Tan, J-Z et al. (2011). "Major Population Expansion of East Asians Began before Neolithic Time: Evidence of mtDNA Genomes". PLoS ONE 6 (10): e25835
Until you make the unconscious conscious, it will direct your life and you will call it fate.
请问日本关东人和关西人有明显体质人类学的差异吗?
10# 在寂寞中思索 关东人个字高,O3多的结果
这是很早以前的网民文章吧,现在应该变了很多
11# xz1011

康巴人高个多还是卫藏人高个多?
吴系的弥生文化?弥生不是O2b嘛,跟中国的吴人似乎没有关系
本帖最后由 东方日月明 于 2015-12-30 16:54 编辑

要看维基百科上日本方面的介绍,更靠谱一些

N系統ウラル系民族に高頻度で、日本には0-8%見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で7.7%観察され[61]遼河文明の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており[62]、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている
日出东方 唯我不败
天地日月 重现光明
不错的文章,其推论有一定的道理。日本历史家所谓“骑马民族”入侵,跟此文中的O3入侵有关联。这个O3,应该是跟原汉有关联的扶余系民族,一个半农半牧的群体中的少数人,渡海来到日本,带来了封建制。扶余人不仅包含O3,还有其他成分,但估计O3是其统治阶层。可能因为扶余人拥有马匹、较先进的武器和组织能力,因此统治了土著。O3和早先从半岛来到日本的O2b,经济上都已是农业为主,加上渡海技术落后,运来的人数较少,为方便统治和发展生产,可能对原土著采取了某种类似农奴的制度,而非替代。早期统治阶层和官僚、武士应该是以O3为主,后来源、平之争,土著武士势力崛起,种姓淡化,O3和O2b的扩张被中断,直到今天。

有个疑问,文中说“O3a1”是黄河系统(中国北方为主)汉出生在交配与周边民族的中国北方原汉,“O3a2”黄河水系的汉族和长江流域文化中国南方基因交融的结果,似乎不太对吧。
人类学和历史学爱好者
这个日文帖子不是论文,是一个日本人在某个日文论坛的发贴,很多主观性、片面性观点。
我认为日本的O2b更有可能是从朝鲜半岛来的,而不是什么吴系长江中下游起源。如果真是吴地起源,那么在迁徙的过程中应该伴随着较多的O1和O2a,因为早期的吴地这两个单倍群也很多。然而日本的O1和O2a比例很低,几乎可以忽略不计,跟百分之三十以上的O2b完全不成比例。

日本的O3也更像是从临近的朝鲜半岛或东北亚迁徙来的,而不是直接从中原过来的。日本的O3比例更类似东北亚民族,而不是汉族。

至于D2和C1,年代太久远,很难确定是从哪里来的,南来或北来都有可能。
我认为日本的O2b更有可能是从朝鲜半岛来的,而不是什么吴系长江中下游起源。如果真是吴地起源,那么在迁徙的过程中应该伴随着较多的O1和O2a,因为早期的吴地这两个单倍群也很多。然而日本的O1和O2a比例很低,几乎可以 ...
MNOPS 发表于 2015-12-30 22:16
同意。好像看过资料,说日本的O2b跟朝鲜半岛的关系最大,O3也是。应该是从大陆到日本的洋流不合适,不如朝鲜半岛或东北亚过去近便、安全。
同意。好像看过资料,说日本的O2b跟朝鲜半岛的关系最大,O3也是。应该是从大陆到日本的洋流不合适,不如朝鲜半岛或东北亚过去近便、安全。
goodlz 发表于 2015-12-30 22:22
支持此等说法,对马海峡要比东海黄海窄多了!
其实是这样的
因为韩国人死皮赖脸的想把 日本人说成韩国人征服土著的结果
所以 日本人宁可把弥生人说成吴人东渡
当然论据很搞笑,日本人拿着弥生人颅骨较为接近徐州地区出土的古代人类颅骨
进而得出结论 弥生人是长江口移民。。。
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